映画沖縄スパイ戦史プレイベント

2018年10月14日(日曜日)

沖縄 見る・聞く・踊る・考える 2018記録

 

 

 昨年に続き、今年もまた「沖縄 見る・聞く・踊る・考える」を開きました。そして、これもまた昨年同様、前日に十人十色のメンバー+助っ人の7名で、沖縄のお菓子・サーターアンダギーを作って当日のお土産として参加者の皆さんにお渡ししました。

 

 残念ながら参加者数は昨年より減りましたが、プログラムの内容は今年も濃く深く、参加して下さった方からは「三線を聞きに来たのだけれど、他の内容もとても良かったです」と云うコメントもいただき、十人十色一同、この会を開いて良かったと思っています。ありがとうございました。

 

 

  那須塩原市の稲村公民館の多目的室をお借りして開いたイベントです。60脚ほど並べた椅子は参加者とスタッフでほぼ埋まりました。

 

 11月に予定されていた沖縄県知事選挙でしたが、翁長雄志知事が急逝された為、9月30日に実施されました。そして、沖縄県民は翁長さんの遺志を継ぐ玉城デニーさんを新知事に選び、改めて普天間基地の閉鎖、即時返還と辺野古新基地建設反対の民意を示したのです。そんな中で今回の「沖縄 見る・聞く・踊る・考える」は開かれました。

① 沖縄戦秘話 あの日ぼくらは戦場で

 敗戦前年の沖縄、少年たちが集められ過酷な訓練を受け「護郷隊」として組織されました。およそ1000人がゲリラ戦を目的に前線に送り出されていたと言います。

 

ある日突然呼び出され、理由もわからずひとところに集められる、ただそれだけのことから始まった。厳しいゲリラ戦の訓練を受け、「お前の命は鳥の羽よりも軽い」「10人殺せば日本は勝つ、10人殺したら死んでいい」と叩き込まれる。民間人のふりをしてひとり米軍の偵察に行く。友人が目の前で殺されても何も感じる余地がない。……「護郷隊」に取り込まれた14~17歳を中心とした少年たちに課せられた状況のほんの一部だ。

「『あの日ぼくらは戦場で ~少年兵の告白』プレビュー」 より

 

② なすの三線の会による三線の演奏

 

 お楽しみの三線の演奏。今年は「安里屋ユンタ」「19の春」「芭蕉布」「黄金の花」「島唄」の5曲を三線と歌を楽しませていただきました。

③ ご存知ですか?辺野古新基地建設のこと

 

 本土では余り知らされていない辺野古の新基地建設のことを、「平和と憲法を守る栃木県北市民ネット」の I さんが何枚かの画像を示しながら説明しました。

 「世界一危険と言われている普天間飛行場の移転」、「沖縄の負担軽減」と言いながら、政府は名護市辺野古に巨大な新基地を建設しようと躍起になっています。果たしてその始まりは何だったのか。1996年のSACO最終報告はどういうものなのか。

 

 1995年の米軍兵による少女暴行事件とそれに端を発した沖縄県民の基地反対運動がきっかけとなり、日米で5年から7年の間に普天間を返還するという合意がされたこと(SACO合意)、しかし、20年を過ぎた現在でも未だに実現していないこと、その合意は当初日本国内の他の施設を利用するということだったこと、そして、日本政府が新基地建設を強行しようとしている大浦湾辺野古の海には多様な生物が棲息し、尚且つ地盤が軟弱なことが明らかになり基地が建設されても基地としての機能を果たさないこと・・・・。現在に至るまでの流れを全て話していただくには時間が足らずに少し端折ることになりましたが、辺野古新基地建設を進めようとしている日米両政府の思惑の変遷や名護市辺野古のキャンプ・シュワブ・ゲート前での抗議行動の様子がよくわかりました。