野新聞社 N記者による三上智恵監督へのインタビュー

「標的の島 風(かじ)かたか」が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別招待作品として上映され、その舞台挨拶を終えて東京に向かう三上智恵監督に宇都宮で下車していただき、下野新聞のインタビューの為に下野新聞本社へとご案内しました。(10月11日 水曜日)

  幸いなことに、監督と下野新聞のN記者にインタビューの場に同席をしてもいいというお許しをいただいたので十人十色の二人が部屋の隅でインタビューの進行を見守りました。N記者の質問に答える三上監督の内容の濃い滑らかなお話しぶりにすっかり圧倒され、小一時間のインタビューを終える頃にはいい勉強ができたなぁと感無量の境地になりました。N記者の「この映画を作るきっかけは何だったのでしょうか?」という最初の質問への答えが次々に膨らんでいき、辺野古、高江、南西諸島がいかに住民の意見を無視したやり方で軍事拠点化されてきているか、そして、石垣島や宮古島の伝統芸能がどういうものか、それが自衛隊基地に反対する運動とどのように深く繋がっているのかを朗々と話されました。とても説得力のあるお話で、長年に渡って厖大な資料を読み知識を積み重ね、抵抗運動を続ける人々に溶け込んで撮影を続けながら共に闘ってきた監督の想いの一端が現れているインタビューです。

 

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三上智恵監督のお話 (インタビューへの回答要旨)

 琉球朝日放送のアナウンサーで報道に携わっていた頃、1995年の少女暴行事件をきっかけに普天間飛行場の閉鎖、辺野古への移転が決まった。しかし、実は1980年代からアメリカは辺野古に新しい基地を作ることを計画していたにもかかわらず、日本政府は「沖縄の基地負担軽減」というまやかしの口上をくり返して、代替地を探す振りをしながらとうに決まっていた辺野古新基地建設を進めようとした。その内容を30分のテレビ番組にまとめて放映したが、放映時間が夜中だったこともあって反響も少なく、今度は1時間の番組にして放送し、ネットでも流したたところ、三万ものアクセスがあり、映画にしてもっと広く沖縄の状況を知らせて欲しいという意見が多数寄せられた。テレビ番組だけではどうしようもないことを実感して、琉球朝日放送を辞めて映画を作った最初の作品が「標的の村」(2012年)で、その2年後には「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」を制作公開した。前二作は沖縄本島の辺野古新基地建設ややんばる東村・高江地区へのオスプレイ配備への県民の闘いを取り上げたが、その後、石垣島や宮古島への自衛隊のミサイル基地建設計画が進められていることを知った住民、とりわけ若いお母さんたちが戦争は絶対嫌だという思いで始めた「ミサイル基地建設に反対する運動」を取り上げたいと思い撮影を進めた。この作品だけが独立している訳ではなく第一作から全部繋がっていて、虐げ続けられている沖縄だけの問題ではなく、日本全体がアメリカの軍事戦略に組み込まれていることを広く世間に知らせたい。72年前に日本本土の防波堤にされた沖縄を、今度は中国が攻めてきたら宮古島や石垣島からミサイルを発射して日本本土の防波堤にしようとしている日本政府はずるいと思う。「風(かじ)かたか」とは風除けのことだが沖縄が日本本土の風除けになるだけではなく、アメリカの軍事戦略に組み込まれた日本全体がアメリカの風除けにされることを国民のどれだけが知っているのか。

 

 この映画の中では石垣島や宮古島の伝統芸能をかなりの時間を割いて取り上げた。沖縄では先祖を大切にする気持ちが強く、自然や神への信仰心も篤い。先祖から受け継いだ土地を手放すことは簡単にできることではないが、基地建設の為に高額のお金で国が買い上げると言えばそれに靡いてしまう人がいるのは確かだ。それでも神と森(自然)と共同体を大切にしてきた住民たちは先祖と子孫に対する共通意識で繋がっている。だから祭りになれば島中が一緒になって先祖を迎え、歌い踊るのだ。

 

 原発も基地も国策なのだけれど、それを詳しく知ろうとしないのは罪だと思う。何かが起こってから知らなかったと云うのは罪深い。軍隊は住民を守らないことを沖縄戦で身をもって体験したお年寄りたちには、基地があるということは、いざ戦争になれば一番に狙われ、軍隊は住民を犠牲にし戦争を進めることがはっきり見えている。だから何十年も基地はいらないと叫び続けているのだ。おじいやおばあに「これほど長く闘い続けられるのは何故?」と訊ねると、「守りたい者を守りたいし、『闘っている姿』を子や孫が見ている。自分にとって大切なのは闘ったのかどうかなのよ。」と答えが返ってくる。そういった先輩たちの強さや明るさに自分は励まされている。

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「母が足利銅山出身で祖母も佐野に住んでいたの。」「辺野古や高江で座り込んでいる人たちの中には田中正三の本を読んでいる人が結構いるんですよ。」と嬉しそうに話す笑顔が印象的でした。